開発者紹介

人に歴史あり萩原忠65年間の技術開発歴

1931年(昭和6年)生まれ

山梨県甲府市出身

山梨県立甲府中学校卒業

陸軍士官学校進学を準備中に終戦

若しあと2年戦争が続いていたら特攻隊志願であったので間違いなく戦死していたと思う。

立教大学卒業、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカー)に就職。

流体制御技術を習得、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。

略歴

1962年(昭和37年)31歳
アメリカ(DY NAM IC E COLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。
油圧機器の劣化防止装置の開発を担当し、高い評価を得る。
1962〜3年(昭和37〜8年)31〜2歳
昭和37 ~8年より始まった高度成長期時代は、日本の基幹産業の発展は想像を越える勢いであった。
製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業が一斉に始動し、施設の建設が始まった。
しかし、流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者は、戦後の産業のブランクのため皆無の状態であった。
多少でも経験のある私に仕事が集中し、約25年間夢中で日本の高度成長を支え続けた。
(特許12 ヶ国出願、約493件の特許を取得)
1998年(平成10年)69歳
体調不良のため大学病院で受けた診察は驚くべき結果だった。
肝臓癌、咽頭癌、余命6ヶ月。そのため約2年間入院して、手術、放射線治療、抗癌剤治療を行い奇跡的に退院。
(しかしその後15年間、毎月2回通院)
1999年(平成11年)70歳
70歳を迎えたとき、なにか人のため、世のため、役立つ物はないかと考え、新しい容器の開発に着手し、液体(水、酒、調味料)・固体(米、豆、粉)等が電気なしで確実に1年以上新鮮なまま劣化しないで保存できる真空保存容器を15年かけて開発した。
全て(8機種)が完成したとき、取得特許は12 ヶ国153件となり、その商品は国際的にも高い評価を受け、日本国内や外国の家庭での実用性に驚く程大きな期待がかけられている。
日本の産業(製品)の輸出に多大の貢献を果たすものであると確信している。
いつ迄も、世界の技術大国“日本”であって欲しい。

テレビ出演

(テレビ出演)BS11放映(テレビ朝日系列)『日本の頭脳』失われた20年と言われる今!

戦後、日本の代表的技術者を20人選出。

高度成長期の日本の世界的技術を紹介し、日本の復活を願う番組。

この20人の中の一人として萩原忠が選ばれ出演。技術開発と発明の手法とは!を語る。

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